vol.10 血を吸う宇宙 アクションシーンで爆笑。

すべての人間は、ただかれが人間であるという理由で、なにがしか滑稽であると同時にグロテスクである」
(フリードリヒ・シュレーゲル「イデーン」)

カルト映画というのは定義がとても曖昧ですが、その特徴というと何を思い浮かべるでしょうか。一部の人たちを惹きつけてやまないカルト映画には一体何があるのでしょうか。その答えのひとつが”無秩序”です。

私は不思議の国に迷い込んでしまったアリス…。そんな気持ちにさせてくれるのが『血を吸う宇宙』という映画です。大人向けの「不思議の国のアリス」です。あらゆる映画の要素をぶち込んだらしいこの映画には様々なものが登場します。宇宙人、魔術、FBI、エロ、インディアン、ミュージカル、B級、阿部寛、そして突然の激しすぎるカンフーアクション…この無秩序こそが『血を吸う宇宙』をカルト映画たらしめている所以です。

『血を吸う宇宙』
サトミは娘が誘拐されたと警察に駆け込みます。しかし警察が旦那に話を聞くと、うちに子供はいないと言うのです。サトミは警察に娘の写真を見せますが、そこに写っていたのは人形でした。警察が帰ろうとした時、突然女霊媒師が現れ捜査に協力すると言い出します。そして霊媒師の放った”首無し女子高生”に導かれてサトミが辿り着いたのは、トイレがない不気味な家でした。その後も次々と不可解な出来事がサトミを襲い、黒づくめの男に襲われそうになるサトミ。そのとき、FBI捜査官を名乗る男に助けられます。

『血を吸う宇宙』は「発狂」シリーズの第二弾で、第一弾の『発狂する唇』にも阿部寛がFBI捜査官の役で出演しています。なんとこの阿部寛、童貞喪失の相手だった女性が実は小汚いおじさんの姿をした宇宙人だったことがトラウマでFBI捜査官として宇宙人を追っています。

そして物語もクライマックスにさしかかる頃、今まで必死にこの映画を理解しようとしていた私たちはとうとう自分の眼を信じることができなくなります。突如始まる超本格的なカンフーアクション。もう私たちの頭の中にはこの問いしかありません。

「誰……?」

知らない人たちがいきなり過激な戦いを長々と繰り広げるのです。その光景はまさにカオス。

この映画には撮影中にも思わず笑ってしまうような訳の分からないエピソードがたくさんあります。高橋洋さんが脚本を書いている途中で入院してしまい、佐々木浩久監督が毎日病院に行って、デイルームで強引に続きを書かせたために、このような狂気的な脚本になったそうです。
ちなみに、主演の中村愛美は、初日の1カット目、階段から降りてきて止まるというだけのカットで踵の骨を骨折したみたいです。

「美はただひとつの典型しかもたないが、醜には無数の典型がある」と、ユゴーはいう。これら美と醜、崇拝とグロテスクという異質な原理を、のこりなく芸術、とりわけドラマという鏡に写しとること、こうして「自然と真実」の凝視にむかうこと、これがダンテやシェイクスピアのはたしたことである。
(西村清和「フィクションの美学」)

しかし、この映画を前にするとダンテやシェイクスピアの話も愉快に思えてしまいます。不思議で面白いカルト映画はたくさんありますが、これほどまでに観客の常識を根こそぎ剥がして混乱に陥れ、そのまま丸呑みにしてしまう映画は多くありません。ここまでの無秩序には「無限」を感じます。見終わった後には作品の中に(それとも私たちの頭の中に?)無限の可能性があるように思えてくるのです。

「妄想の中に生きる!それこそが真実」

『血を吸う宇宙』を見る

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