〈愛しい存在〉との出会いに祝杯を─『スウィート・シング』【折田侑駿の映画とお酒の愉快なカンケイ】

折田侑駿

©2019 BLACK HORSE PRODUCTIONS. ALL RIGHTS RESERVED

夜にひとりでちびちび酒を口にしていると、ふと、誰かのことを思い出すことがある。それは必ずしも、長らく会えないでいる親類縁者や友人などとはかぎらない。

ときにそれは、下の名前しか知らない、あるいは名字やあだ名しか知らない、行きずりの誰かだったりする。よく知らない存在ではあるものの、その瞬間にしか生まれることのなかった、かけがえのない時間をともに過ごした存在──。

“飲み屋めぐり”というものを人生最大の愉しみとしている私には、そういう〈愛しい存在〉がなかなかに多いのだが、あなたはどうだろう? この存在は、必ずしも人であるとはかぎらない。飲み屋そのものであったりもするのだ。映画でいうならば『スウィート・シング』こそ、私にとってそんな存在である。

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『イン・ザ・スープ』や『サムバディ・トゥ・ラブ』などのアレクサンダー・ロックウェル監督による最新作『スウィート・シング』とは、2020年の秋に開催された第33回東京国際映画祭で出会った。

連日、朝から会場に足を運んでいたものの、何を観るのかはそのときのタイミングと気分しだい。ある日の朝一番の上映回に、この作品がラインナップされていた。そのときの名(タイトル)は『愛しい存在』というもので、少女の笑顔を横から大きく捉えたモノクロームのポスタービジュアルに心を惹かれた。

しかし、どんな内容なのかは分からない。正直に言うと、誰が監督をしていて、誰が出ているのかも分からなかった(あとで知った)。アタリをつけて観に行くのもいいが、こうして事前情報をあまり得ずに作品と出会うのも、映画祭の醍醐味だ。タイミングと気分によって生まれた出会い。まさに行きずりの出会いである。 

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『スウィート・シング』には、酒が入るとまるで話が通じなくなるオヤジが登場する。普段は優しく気の良い父親なだけに、まだ少女である娘のビリーと幼い息子のニコがとても不憫。彼の酩酊する姿を見ていると、いずれ自分もこうなるのでは?と冷や汗が出てくる。

そんな父親が強制入院させられることによって、姉弟は不運と幸運とが隣り合わせのひとときを過ごすことになる。それはふたりにとってつかの間の冒険であり、苦しい環境を生き抜くなかで「自由」を味わうことでもある。ときに残酷で、ときに眩しい、そんな青春映画だ。

モノクロとパートカラーで描出される少年少女の旅路。そして旅につきものの、“愛しい存在”との出会い。アルヴォ・ペルトやシガー・ロスらによる楽曲が旅路を彩っているのだけれど、このプレイリストが素晴らしい。ミックスアルバムの名盤といった印象で、少年少女の冒険物語と化学反応を起こしている。贅沢な映像と音楽に触れた鑑賞後は胸がいっぱいになり余韻から抜け出せず、何も手につかなくなる人も多いのではないかと思う。

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実際に私はそうだった。朝っぱらからこの愛しい存在と出会ってしまい、高揚感と恍惚感とで上の空。心はどこかの旅の空。気持ちを落ち着かせるため、ポケットに入れてあるスキットルを取り出し、安物のウィスキーをぐいと煽る。その後に吐き出した溜息と入れ替わるようにして、東京のひんやりとした秋の空気が体内に入ってきた。

こうしてふと『愛しい存在』を思い出しては、あの日あの場で得た感覚を身体が思い出す。あの日かぎりの付き合いかと思っていたけれど、私の愛しい存在は『スウィート・シング』と名を変えて、あちこちの劇場にいるのだという。会えるのだから、走っていこうと思う。いったん、酒は置いておいて。再会の祝杯はそのあとに。

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『スウィート・シング』
監督・脚本 / アレクサンダー・ロックウェル
出演 / ラナ・ロックウェル、ニコ・ロックウェル、ウィル・パットン、カリン・パーソンズ
公開 / 10月29日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺 他
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折田侑駿 文筆家

“名画のあとには、うまい酒を”がモットー。好きな監督は増村保造、好きなビールの銘柄はサッポロ(とくに赤星)。

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