6月はプライド月間!女性監督たちが描くそれぞれの時代の愛の形――『ウーマン ラブ ウーマン』

児玉美月

このコーナーでは、映画執筆家の児玉美月が、映画をジェンダー、セクシュアリティ、フェミニズムなどの視点からご紹介していきます。今回は、プライド月間だからこそ見てほしい作品として『ウーマン ラブ ウーマン』を取り上げます。

『ウーマン ラブ ウーマン』作品紹介
一軒の屋敷を舞台に、異なる時代に移り住んだ3組の同性愛カップルの、それぞれのドラマを描くオムニバス・ラブ・ストーリー。 引用:allcinema

1961年を舞台にした第一話では、レズビアンカップルの老年期が描かれる。シャーリー・マクレーンが、涙を湛えながらオードリー・ヘプバーンへ愛の告白をする。もはやレズビアン映画の古典的名作とも評される『噂の二人』(1961年)の、そんな一場面がスクリーンにかかった暗い劇場内、男女のカップルはそれを観て席を立つが、その傍らで女性二人が仲睦まじく手を重ねている。

かつて『噂の二人』の彼女たちと同じく教師だったイーディス(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)とアビー(マリアン・セルデス)は、誰もその関係性を知らないが、長年連れ添った恋人同士だった。友達関係を装うしかない時代を、彼女たちは生きてきた。

そして、物語はアビーの突然の死から動き始める。転倒事故に遭ったアビーが運び込まれた病院で、イーディスは家族ではないという理由で立ち会いを拒否されてしまう。そのまま待合室に居るしかなかったイーディスは、ついにアビーの死に目に会えなかった。

さらにその後アビーの親族が現れ、遺産相続の権利のないイーディスは家さえ奪われてしまう。こうしてこの物語では、短い時間のなかで、婚姻関係を結べないパートナー関係が被るであろう弊害が、矢継ぎ早に提示される。

どれだけ絆が強かったとしても、「友達」は徹底して「家族」の下位に置かれてしまう。この物語のモチーフとなっているか弱い小鳥の姿は、そのままイーディスの心許なさと重なり合うものだった。

関係を隠し続けた老年期のレズビアン・カップルを追ったドキュメンタリー映画『シークレット・ラブ: 65年後のカミングアウト』(2020年)を、彼女たちの人生とも地続きの現実を捉えた作品としてここで挙げたい。

――「まず革命、恋愛はそれから」。

1972年を舞台にした第二話では、若者世代のレズビアンが描かれる。女性解放運動の真っ只中、レズビアン・フェミニストのグループに属する大学生のリンダ(ミシェル・ウィリアムズ)が、立ち寄ったバーで男性的な振る舞いをするエイミー(クロエ・セヴィニー)と出逢う。

エイミーは吸いもしないタバコを、自分を「タフ」に見せるためだけに置いている。ヒラリー・スワンクが実在のトランスジェンダー男性のブランドンを演じた『ボーイズ・ドント・クライ』(1999年)で、ブランドンの恋人役として出演したセヴィニーは、当初ブランドン役を求めており、最終的に監督のキンバリー・ピアースの判断でトランス男性ではなく恋人役となった。

ここではセヴィニーはおそらくブッチのレズビアンとして描かれているが、今で言うトランス男性またはノンバイナリーなどである可能性も完全に否定できない。実際、ジェンダーを問われたエイミーは、自分は自分でしかないのだと答えてもいる。

たとえばレズビアンとして知られていた前述のピアース監督は、のちにジェンダークィアだと公言したが、それをかつては自身を認識する言葉がなかったからだとしている。

リンダはエイミーにたちまち惹かれていくが、リンダの仲間はエイミーを拒絶してしまう。「性役割を失くそうとしているときなのに」、「男のマネごと」などと言いながらエイミーの在り方を否定する彼女たちは、無理やりエイミーにフェミニンな服を着せる嫌がらせも厭わない。

1970年代のレズビアン・フェミニズムは、異性愛規範を模倣し、ひいては性差別を永続させると見做したフェム/ブッチに批判的だった。この物語では、フェミニストとレズビアン、あるいはレズビアンとレズビアンの緊張関係を描出させており、リンダはあらゆる局面で引き裂かれる人物としている。そうしてリンダは、友達と恋人の狭間で思い悩み、自らの在り方まで変化させていく。

2000年を舞台にした第三話は、精子バンクを利用して人工授精によって子を授かろうとするレズビアン・カップルのフラン(シャロン・ストーン)とカル(エレン・デジェネレス)の物語が描かれる。監督を努めたアン・ヘッシュの実生活における当時の恋人でもあったエレン・デジェネレスが出演した。

この物語では、いかに時代が進歩したかを強調するためか、これまでの物語で見られたような性的マイノリティを巡る差別や偏見の描写は限りなく削られており、コメディ要素が全面に押し出されているように思える。

物語の冒頭、「養子縁組はレズビアンカップルには厳しい」として精子提供者を探す彼女たちは、ゲイ・カップルとの話し合いにおいて、生まれた子供と関わりたいと要求されて拒絶する。アネット・ベニングとジュリアン・ムーアが二人の子供と暮らすレズビアン・カップルを演じた『キッズ・オールライト』(2010年)ではまさに、精子提供者の男性が家族に闖入することによって亀裂が生じていく物語が描かれている。

映画『ウーマン ラブ ウーマン』は、それぞれ三人の女性の監督によるオムニバス作品として、主題も雰囲気も異なるが、時代が進むにつれて社会における彼女たちの可視性は高くなっていき、よりポジティブな描かれ方になっていく。

ユートピアのような雰囲気を纏うこの第三話において、わずかに未来を憂える場面でフランとカルは、「うちの子が差別を知るようになる頃には、世界は変わる」と言う。この映画からおおよそ二十年が経った今、その頃生まれた子供たちの瞳に、この世界はどう映っているのだろうか。

児玉美月 映画執筆家

映画執筆業。詩を書くようにして映画を言葉にするのが好きです。

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