23歳の僕を変えた10時間!人生に触れる映画『デカローグ』

折田侑駿

©TVP - Telewizja Polska S.A.

「あなたの人生を変えた映画は何ですか?」──そう聞かれたら、答えはそのときどきで変わる。僕の人生を変えた、あるいは僕にとっての「人生ベスト級」の作品を挙げるならば、『教授と美女』(1941年)、ジャン・コクトーの『美女と野獣』(1946年)、ダグラス・サークの『心のともしび』(1954年)、増村保造の『暖流』(1957年)、『アカルイミライ』(2002年)……などなどが並ぶのだけど、共通性があるようなないような。

これをまあ、そのときどきのシチュエーションやテンションに合わせて述べることと思う。もちろん、お酒が入っていればどうしても熱っぽくなってしまうこともあるだろう。そんな作品たちだけが、我が家の本棚には並んでいるのだ。

話を戻そう。では冒頭の質問をされたとして、いまこの瞬間に答える映画は何か? ──いま答えるならば、それは『デカローグ』(1988年)である。これを映画とするかどうかは人によるのかもしれない。しかし、1989年のヴェネチア国際映画祭にて上映され、国際映画批評家連盟賞を受賞、1996年には日本でも劇場公開された。現在、デジタル・リマスター版としてリバイバル上映されているのだから、「映画」といっていいだろう。いやむしろ、上映尺が約10時間(厳密には587分)にもおよぶ“長尺映画”だと捉えたい。

そう、クシシュトフ・キェシロフスキ監督による本作は、旧約聖書の「十戒」をモチーフとした全10話からなるテレビシリーズ作品なのだ。「運命」や「選択」といったもののほか、「愛」「孤独」「希望」が各話のテーマとなっている。いずれも僕たちが生きているうえで、いくどとなく目にし、耳にするワードである。

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はじめて『デカローグ』を観たときに。それは23才ごろのことで、レンタルしたDVDを自宅のノートPCで鑑賞した。たしかハートランドの中瓶1本を相棒に、10時間ぶっ続けで観たと思う。当時は友人もほとんどなく、金もなく、あるのは漠然とした不安と根拠のない期待感だけ。『デカローグ』は1話ごとに完結する作品だが、多くの人物が登場し、すべての物語は同じ世界線で動いている。

そこには「運命」があり、「愛」があり、「希望」があった。悲劇があり、喜劇があった。これらを連続して観ることにこそ、本作の価値はあるのだと思う。23才当時、この映画をとおして“「人生」なるもの”に触れたのだ。

そんな「人生を変えてくれた」本作に関して、実は残念な思い出がある。つい最近のことだ。このたびの『デカローグ』リバイバル上映の報が入ってきてからというもの、ある意味これが、生き甲斐というか、生きづらい現状をなんとかサバイブする大きなモチベーションとなっていた。いわゆる「観るまでシネない!」というやつである。

僕の住む東京都内では、これを書いている現在(2021年5月7日時点)、上映劇場は一館のみ。それも時節柄、客席を半数に間引いての上映。もともと座席数が多くはないミニシアターであるうえ、その座席の半分しか開放されていないのだ。座席争奪戦が起きてしまう。映画館を運営する側はもちろんだが、映画ファンにとっても非常に辛い。観たい映画を、映画館で観る──そんな当たり前のことが叶わないのだ。

しかも、『デカローグ』の場合は事情がまた込み入ってくる。全10話を一日あたり4話に分けて上映するため、3日は映画館に通わなければならず、その3日間も的確にスケジューリングしなければ、お目当てのエピソードを観られないというわけだ。いくら観たことのある『デカローグ』だとはいえ、第1話『ある運命に関する物語』以外から観るという選択肢はない。

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結果、どうしても時間が合わなかったため、上映期間のラスト3日間を狙うことになった。合計約10時間にもおよぶ旅程である。とうぜん、旅の友も一緒。以前「7時間18分の映画『サタンタンゴ』と、天使が通る店の思い出」と題したコラムで触れている、“長尺映画を見る会(仮)”の活動の一環でもあるのだ。ところが、発起人である僕が、盛大にやらかしてしまった。そう、チケット予約の開始時間、僕は夢の中だったのだ。

過ぎてしまったことを後悔してもしょうがないのだが、やっぱり悔しくてしょうがない。映画は、“一回性”に大きな価値が置かれる演劇や音楽ライブなどとは違う。観るたびに演出が変わったり、時代に合わせて俳優のセリフがアップデートされるものでもない。しかし映画には映画だけの尊い“一回性”があり、「また観ればいいじゃないか」と言われて納得できるものではない。

さらに約10時間の『デカローグ』の場合は事情が違う。このチャンスを逃せば、ひょっとするともう一生スクリーンで本作を観ることは叶わないかもしれない。それも「人生を変えてくれた」と思えるほど、自分にとって重要な映画なのだ(ちなみに、所有している「『デカローグ』 クシシュトフ・キェシロフスキ Blu-ray BOX 初期作品集収録特別盤」は未開封)。

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スクリーンで観る『デカローグ』──僕はその一回性を、新鮮なカツオとタイの刺身を晩酌のために仕入れたことに気分を良くし、それらを肴に澤乃井を冷やしてスイスイ流し込んだことで、この貴重な機会までも流してしまったのである。気がつけば朝であり、チケットは買えず、完全に後の祭り。少しだけ泣いた。人生を変えてくれた映画を、酒に飲まれて観ることができなかった──ある意味ではこの連載で取り扱うのにふさわしいのかもしれない。

生きていれば、ときに僕たちの想像をはるかに超えるショッキングな現実とぶつかることがある。けれどもまたときには、「まさか」と声を出してしまうような奇跡的な瞬間に立ち会うこともある。大なり小なり、誰もが不安を背負い、期待を胸に生きている。お酒はほどほどに、焦らず腐らず、旅立ちの日がやってくることを願い続けようと思う。

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折田侑駿 文筆家

“名画のあとには、うまい酒を”がモットー。好きな監督は増村保造、好きなビールの銘柄はサッポロ(とくに赤星)。

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