年間350本の新作を見る僕の人生を変えてくれた映画『8 Mile』

ミヤザキタケル

©2002 Mikona Productions GMBH & CO., KG. All Rights Reserved.

その映画と出会ったのは、僕が長野市の高校に通っていた頃。授業を4限まで終えたタイミングで、担任に体調不良を訴えて学校を早退し(実際は元気)、イトーヨーカドーのトイレで制服から私服に着替え(用意周到)、万全の状態で映画館へ。
(※無断で学校を抜け出したり、それが親に伝わるのが嫌だったり、日中に制服でウロつく度胸を持ち合わせていないセコい高校生だった。)

当時は映画雑誌や映画サイトとも無縁で、もちろん映画の知識もなく、三ヶ月に一度映画館へ行くか行かないかのレベル。そもそも長野市で上映されている映画の本数や種類も少なかったように思う。しかし、信濃毎日新聞に掲載されている映画館のタイムスケジュールの中から、僕は見事に“それ”を引き当てた。今思えば、「学校を抜け出して映画を見ている俺かっけぇ」に浸りたいがための行為でしかないのだが、勘で選んだその作品は、大人になった今でも強く心に刻まれ、僕にとっては、人生における指針と言っても過言ではないものとなった。

その作品の名は『8 Mile』。世界的なラッパーであるエミネムの半自伝的な物語であり、エミネム本人が主演を務め、彼が歌う主題歌「Lose Yourself」は、2002年のアカデミー賞において歌曲賞を受賞している。

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富裕層と貧困層、白人と黒人とを隔てる8マイルロードがあるデトロイト。ラッパーとしての成功を夢見るも、現実は掃き溜めのような工場で働き、彼女と別れたばかりで家も車も失ったジミー(エミネム)。黒人主流のラップバトルに参加するも、ビビって声が出ずにあっさり敗北。トレーラー暮らしの母親を頼って尋ねると、自分の先輩と母親がセックスしている場面に鉢合わせ。そんなドン底にいた彼が、紆余曲折を経ながら自分の道を切り拓いていく様を描いた作品が『8 Mile』だ。8マイルロードの境界線を飛び越え、現在の地位を確立するに至ったエミネムの始まりを、かつて抱えていたであろう葛藤の数々を感じさせてくれる作品だ。

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本作を初めて目にした高校生の僕の感想は、「カッコいい映画だな」だった。中指を立てる際の仕草や、別れ際に振り向くことなく二本の指だけ掲げるといったジミーの細かな所作に憧れ、終盤における怒涛のラップバトルにシビれた程度。描かれているドラマの本質など、これっぽっちも理解できてはいなかった。だが、自分自身が18歳で上京し、夢を追いかけるジミーと同じ立場になったことで、作品に対する捉え方はガラッと変化していった。つまりは、夢を追いかける者ならば、チャレンジャーとしての火を胸に灯している者ならば、上手くいかない現実に打ちひしがれている者ならば、きっと胸打たれるものが本作にあるのだ。

どんな夢であれ、割とすんなりと叶えられる人も中にはいるだろう。しかし、皆が皆そうではない。むしろ、大抵の人が叶えられずに足掻いている。思い描いた夢を叶えるための明確な術も見出せず、漠然と日々を過ごしている人もいるだろう。そんな時、劇中のジミーのように仲間とつるんでいれば、それなりに楽しめる。やるべきことから逃げ、多くのことに目を瞑っていれば、騙し騙し生きていくこともできてしまう。20代の頃の僕自身がそうだった。だけど、そんな日々ばかり送っていても、心は永久に満たされない。そういった状況から抜け出すためには、夢を叶えるか、夢を諦めるか、二つに一つしかないのだ。

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劇中、「いつ夢に諦めをつければいい。高望みを捨てて地に足をつけるのはいつだ。」とジミーが言う。ほんの一瞬で終わるシーンで、人によっては特に引っかかることなく過ぎ去るかもしれないが、夢を叶えられずにもがき苦しんでいる者であれば、決して素通りすることはできないだろう。何故ならば、同質の葛藤をその胸に宿しているはずだから。

全てを諦め故郷へ帰ったほうが、両親をはじめ、家族は皆喜ぶのかもしれない。恥ずかしいのは最初だけで、結果としては安定した生活を送れるようになるのかもしれない。身の丈に合わない夢だったのだと、無謀な挑戦であったのだと、いつの日か割り切れるようになる日も訪れる。人生の選択に明確な正解などなく、夢を諦めたとて人生は続いていく。そう思えば、引き際をしっかりと見極めることも大切だ。だが、そんなものは理屈でしかない。簡単に諦めたり手放せるものではないから、夢とは厄介なのだ。だからこそ、あのワンシーンを目にする度に、胸がチクチクしてしまう。諦めたくはないが、現状を打破する術も一向に見つけられない。そんな自分が情けなくてたまらなくなる。

本作を目にすれば、そういった向き合いたくない現実に否が応でも向き合わされる。それを分かっていたからこそ、僕は絶えずこの作品を見返し続けてきた。時間がない時には、上記のワンシーンだけを見返すなんていうこともあった。上手くいっていない現状をジミーの姿に重ね合わせることで、目にする度に胸が締め付けられた。と同時に、あらゆる逆境を跳ね除け、前へ進んでいくジミーを思うと、自らを奮い立たせることもできた。落ち込んだ時、夢との向き合い方に迷った時、勇気を絞らなければならない時、いつだってこの作品が力を貸してくれた。

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僕は俳優の道を諦め、脚本家の道を諦め、最終手段として映画に携わる仕事を選んだ。好きな仕事とは言え、僕が夢を叶えた側に属するのかは正直なところ微妙なラインなのだが、アルバイト生活を脱し、今映画の仕事で食えている現状があるのは、間違いなく『8 Mile』の存在が大きい。この作品と出会っていなければ、繰り返し見続ける中で鼓舞され戒められてこなかったら、きっと今ここでこの文章を書くには至っていない。頑張れば、努力すれば、夢は必ず叶うとは言わないし、僕自身そんな風には思っていない。ただ、諦めない選択をし続けた者でなければ目にすることのできない景色があると思う。他人がそれに価値を抱くかどうかは別問題だが、自分にとって価値があると思えたのなら、それで十分だ。

コロナ渦にある今、物理的に夢を追えない状況に追い込まれている人もいるかもしれない。本作を目にしたところで、すぐに何かが解決するということはないだろう。だが、消えかかった胸の火を灯し続けるための火種くらいにはなるはずだ。かつての僕がそうであったように、この作品が誰かの心を鼓舞するキッカケになることを願っている。

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ミヤザキタケル 映画アドバイザー

WOWOW、sweetでの連載のほか、各種メディアで映画を紹介。『GO』『ファイト・クラブ』『男はつらいよ』がバイブル。

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