酒を持ち、自宅にいながら旅に出よう─いつでもどこでも旅の空『男はつらいよ』

折田侑駿
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「あの男の教えることなんかね、お酒の飲み方くらいのもんだよ」──そうおばちゃんは口にする。このおばちゃんとは、もちろん“私のおばちゃん”ではない。いや、そういうとやや語弊がある。彼女は“私だけのおばちゃん”ではないだけだ。日本を代表する旅人・車寅次郎(渥美清)のおばである彼女は、寅次郎や、彼の登場する『男はつらいよ』シリーズを愛する者たちにとって、“みんなのおばちゃん”だといえるだろう。

さて、間もなく迎えるゴールデンウィーク。ここは少しばかり足を伸ばして、見知らぬ土地へと向かいたいところだけども、そうもいかないのがこのご時世である。ならば『男はつらいよ』を観て、自宅にいながら酒を片手に旅に出よう。もしくは公園なんかの芝生に寝転んで、スマートフォンで観てみるのもありなのではないだろうか。旅の空は、“いつでも”、“どこでも”展開するのだ。

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このゴールデンウィーク期間中に“映画の旅”に、それもシリーズものをイッキ見することをとおして、長期的な旅に出ようと考えている方は多いのではないかと思う。2019年より前であれば、「家にばかりこもっていないで、お天道さまの光でも浴びに外へ出たらどうだい?」なんて言われていたであろうものの、いまじゃ引きこもる姿勢こそ褒められる時代。なのであれば、もうめちゃくちゃに旅に出てしまおうではないか。“寅さん”こと寅次郎についていけば、それが叶うのだ。しかも、北は北海道から南は沖縄まで。残念ながら海外への渡航はここでも叶わないが、国内をくまなく歩きまわって堪能しよう。

それにしても、旅立ちの日までもう時間がない。急いで各作品の舞台となる地をチェックし、各地の逸品や銘酒を取り寄せ、それらを鑑賞とともにに愉しむのもありかもしれない。いや、そうしよう! これはいま思いついたアイデアだけれども、私はそうしてスペシャルなゴールデンウィークを過ごそうと思う。映画を酒のアテにするのもよし、映画という旅のおともに酒を持つのもよし。旅のスタイルは人それぞれでいいのだ。

全50作におよぶ本シリーズの合計尺は、5094分(約85時間)もあるが、まあ……朝起きてすぐにテレビを点け、サブスクリプションサービスなどにて再生。それと同時に缶ビールのプルタブをプシュッと上げれば問題なしだと思う。ひとつの作品が終わるごとに水や“コーシー”でブレイクしつつ進めば、必ずや期間内にゴールまでたどり着けることだろう。休息も大切であるし、旅から旅への気持ちの切り替えも重要だ。旅にはいつも笑顔や涙がつきものだが、前回の旅の余韻に浸ってしまっていては、次なる旅への一歩も踏み出せないというものである。そもそも、せっかくの旅と旅とを混同してしまっては本末転倒。一つひとつの貴重な体験を大切にしてほしいところだ。

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そんな旅のなかでも、筆者的に(というより、全飲んだくれが)注目なのが、シリーズ第42作『男はつらいよ ぼくの伯父さん』(1989年)である。同作には、主人公・寅次郎が甥の満男(吉岡秀隆)に酒の愉しみ方を伝授する一幕がある。ときに寅さんは大酒をかっくらい、酩酊状態で千鳥足になることもしばしばあるが、「酒飲みの流儀」というものを心得ている人だ。味に香り、それに肴との組み合わせ。寅さんの言葉にはいちいち背筋が伸びる。酒を前にした彼の誠実な態度には、いまいちど酒の愉しみ方を考え直してみようと思えるのだ。

本文の冒頭に記したおばちゃん(三崎千恵子)のセリフ──「あの男の教えることなんかね、お酒の飲み方くらいのもんだよ」。“お酒の飲み方くらいしか教えてくれないおじさん”だなんて、これほどいいおじさんはいないだろう。私たちの多くがこの当時の満男の年頃、ありとあらゆる酒に手を出しては多種多様な失敗を繰り返してきたものではないだろうか。むろん、失敗することも必要だ(そしてもちろん、未成年の飲酒はNG!)。そこから得られる学びもある。しかしだ、前途有望な酒飲みとしてのスタートラインに立ったばかりの時期に、酒との適切な付き合い方を学べることの価値は、非常に高いといえるだろう。いつか自分が甥をもった際には──なんて、ついつい考えてしまうものである。そんなおりには寅さんのように、“酒の飲み方だけ”はきちんと教えてやる存在でありたい。

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また、“出会い”が大きなテーマでもある『男はつらいよ』シリーズを観ていると、やはり人恋しくもなってしまう。そうなったら寅さんのように、遠くにいる誰かに手紙を書いてみるといいかもしれない。照れくさい気持ちも、お酒の力を借りれば多少は楽に吐き出せるはず。あるいは妄想力を豊かにして、まだ見ぬ誰かに対して手紙をしたためてみるのもいいだろう。

さあ、とにもかくにも旅立ちの日まで時間がない。「みんなでパアーっと」前夜祭でもやりたいところだけれど、早々に準備に取りかかろう。旅先ではきっと、いろんな笑顔が待っているはずだ。

折田侑駿 文筆家

“名画のあとには、うまい酒を”がモットー。好きな監督は増村保造、好きなビールの銘柄はサッポロ(とくに赤星)。

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