アジアの女女映画 Vol.3 台湾の映画監督ゼロ・チョウ
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アジアの女女映画 Vol.3 台湾の映画監督ゼロ・チョウ

児玉美月

映画はいつの時代も社会を映す鏡と言われています。このコーナーでは、映画執筆家の児玉美月が、映画をジェンダー、セクシュアリティ、フェミニズムなどの視点からご紹介していきます。物語が映し出すメッセージ、持っている意味について考えるきっかけとなり、映画の世界の新たな扉を開いていただけたらうれしいです。

これまで前回前々回といくつかの作品を取り上げてご紹介してきましたが、今回は台湾のレズビアンの映画監督ゼロ・チョウに焦点をあてます。

ゼロ・チョウ(周美玲)は、「レズビアンであることを公言している台湾唯一の映画監督」(※1)として長らく紹介されてきた。性的マイノリティを公言している台湾の映画監督では、たとえばツァイ・ミンリャンのように、「ゲイの映画監督」とラベルづけされることを拒絶する監督もいる。(※2)

かつてゼロ・チョウは、自身が「レズビアン監督」と称されることをどう感じているかと問われ、「私はLGBT運動を推し進めるために多くのエネルギーを費やしてきたので、気にしていません。でも、私たちの社会はそういったラベルを必要としない地点まで到達する必要があります。本来であれば、まったく必要がないものですから」(※3)と答えている。

実際、彼女は劇映画でひとつのテーマとして扱うだけではなく、台湾における LGBT コミュニティのドキュメンタリー作品を撮り続けていたこともある。ゼロ・チョウが一貫して手掛ける作品に俯瞰した批評性が垣間見えるのは、映画監督になる前にジャーナリストとして活動していたことも関与しているかもしれない。

また、映画製作をパートナーの女性ホホ・リュと共同で行っており、『Tattoo-刺青』(2007年)、『彷徨う花たち』(2008年)などを始め、撮影監督を担当している。それは、ゼロ・チョウ作品が女性のまなざしから語ろうとする意識がとりわけ色濃く感じられる要因の一つである。

関係性を公にしている女性の同性カップルが一つの作品に携わることは決して多くはないが、たとえばフランスの映画監督であるセリーヌ・シアマは、パートナー関係にあった俳優のアデル・エネルと、2020年に日本でも公開されたばかりの『燃ゆる女の肖像』(2019年)と『水の中のつぼみ』(2007年)を撮っている。そういった例に限らず、映画は今ますます女性のインスピレーションを必要としている。

ゼロ・チョウの諸作品において認められる特徴には、彼女自身がそう話すように、一つには「共感性」が挙げられる。差別問題を描く映画にあって、観客がお金を払って観に来ているのに、責められている感覚に陥ってほしくないためだという。

そのため、観客が共感できるように戦略的にアイドル的な存在の俳優を起用することもある。(※4) それで言うと、たとえば『Tattoo-刺青』のレイニー・ヤンがすぐに思い至る。同作では、トップアイドルとして活躍していたレイニー・ヤンのアイドル性をそのままジェイド(小緑)という人物造形に反映させ利用している。『Tattoo-刺青』は東京国際レズビアン&ゲイ映画祭及び香川レインボー映画祭で上映されたほか、日本版DVDも発売されているため、ゼロ・チョウ映画のなかでもっとも日本でも馴染みのある作品だと言える。

昼は大学生、夜はチャットレディとして男性向けを想定されたポルノサイトで働くジェイドは、サイトの管理人からアクセス数が最下位だと叱責されたために刺青を入れることを思いつき、竹子という刺青彫師に辿り着く。冒頭では、ジェイドがカメラの前でサイトを観ている視聴者に向かって蠱惑的なポーズや台詞を投げかける。そのようにして、この映画はレズビアンのラブロマンスを主題にしていながら、男性異性愛者のまなざしの主観ショットによって開始される。

その後、違法サイトを追う警察の男性と竹子がその閲覧者に加わり、ジェイドは家父長的な権威の監視とレズビアンのまなざしを同時に受けることになる。過剰に媚態する異性愛者の女性へと「擬態」した液晶画面に映し出されるヴァーチャル空間におけるジェイドの身体は、現実空間でのレズビアンである生身のジェイドの身体と、徹底して対比されていく。

竹子に一方的に拒絶された直後には、ジェイドは「空想の世界で生きるしかない」のだとオンラインの世界へと「戻る」。竹子との関係性の失敗は、ジェイドにとってレズビアンとしての現実の生を諦めることを意味する。異性愛者にとって理想的な「美少女像」をクィアし、レイニー・ヤンの身体に二重の意味を付与しながら、レズビアンの身体を再構築していく映画でもある。

また、『Tattoo-刺青』には台湾で1991年に起きた921大地震のトラウマ的な記憶が底流にある。大きな出来事によるこの傷ついた記憶が、映画にたゆむことのない哀調を帯びさせる。そしてその目に見えない「傷」は、身体に「傷」をつける、つまり刺青を入れる行為によって可視化されていく。

ときに中断されながら女が女に刺青を身体に刻んでいく過程は、決して自分の痛みにはできない他者の痛みを感受し得るのか、同じ「傷」をいかにして共有し得るのか、その絶望的な不可能性への攻防戦と化す。あるいはこの刺青のモチーフは、男性にとっては即席的に手にできるいささか粗暴な「男性らしさ」として、女性にとってはタブーを象徴する罪悪感の具現化として、それぞれ機能しているようにも思える。

ゼロ・チョウの作品が豊かなバリエーションを持っていることがうかがえるのが、アジアの様々な都市でLGBTコミュニティを描く六本の映画を製作するプロジェクト"Over the Rainbow"の第二弾として北京を舞台に撮られた『The Substitute/替身』(英題/原題、2017年)。

インターネットセレブリティのニコルと、密かに彼女へ想いを寄せるルーが柔道の試合で出逢い、その後二人はアクション映画を撮影することになる。スポーツや本格的なアクションからなる物語は、ラブロマンスのドラマが多く目立つレズビアン映画のなかでも珍しいものである。

それはたとえば、火星へと向かう宇宙船でレズビアンカップルが子を産み育てるSF映画『ANIARA アニアーラ』(2018年)や、妊婦とベビーシッターが関係を持つ狼男の古典物語を下敷きにしたホラー映画『狼チャイルド』(2017年)といった作品のように、いわゆる「ジャンル映画」の網目のなかにレズビアニズムを編み直していこうとする実践的な試みとしても位置づけられるだろう。

ルーは亡くなった弟の代わりとして母親に育てられてきた。彼女の髪がつねにショートヘアなのは、そんな母親が彼女の髪が少し伸びるたびに短く切ってしまうからだった。少年のように育てられたルーは、大人になっても女性としての確固たるアイデンティティを持てずにいる。ゼロ・チョウの映画は、セクシュアリティが重要な主題の一つとしてある一方で、ジェンダーへの問題も同時に提示する。むしろそれがゼロ・チョウにとって不可分であることは、とくに『Splendid Float/豔光四射歌舞團』(原題/英題、2004年)や、『彷徨う花たち』(2008年)で顕著に認められる。

ゼロ・チョウが描くレズビアンを主とする性的マイノリティたちは、映画のなかでもさらに描かれにくい周縁性を持っているように思われる。そしてそれがもっとも如実に表れていると言えるのが、『彷徨う花たち』ではないだろうか。

この映画に登場するのは、盲目のレズビアン女性、非典型的なジェンダーの若者、アルツハイマーを患う高齢レズビアン女性、HIVに感染した高齢ゲイ男性である。時制の異なる三つの章それぞれで描かれるのは、幼少期の物語、老年期の物語、若年期の物語であり、人生の流れの時系列では構成されていない。

断片的な三つの物語を横断するのが列車のモチーフであり、この運動イメージがマイノリティたちの個別の経験をゆるやかに結びつけていく。『彷徨う花たち』で扱われる重要な列車のモチーフに関しては、その単線的な運動イメージが「人生の各段階において決められたコースをたどることが求められる異性愛者規範の人生観」と関連付けられ、彼らがそんな「異性愛者社会の時間感覚から逸脱したクィアの時間」を生きていることを示唆しているのだ、とする分析もなされている。(※5)

その考えに従い、マジョリティなる時間が縦糸、マイノリティなる時間が横糸だとするならば、この映画が「彷徨う」のは、まさにその時間の交差点を模索することにおいてである。列車の進む直線状の線路の描写が、劇中で何度も差し込まれる。いつかどこかで、その線路は別の線路と合流するかもしれない、と告げるかのように。

【註】
※1 “台湾映画監督ゼロ・チョウのインタビュー”. tokyowrestling
http://www.tokyowrestling.com/articles/2008/08/1_zero_chou.html

※2 Lim, Song Hwee,Celluloid Comrades: Representations of Male Homosexuality in Contemporary Chinese Cinemas. (University of Hawaii Press,2006)

※3 “Director Zero Chou on “Spider Lilies” and the Evolution of Taiwanese Queer Cinema”. Taiwanese American.org
http://www.taiwaneseamerican.org/2020/09/director-zero-chou-on-spider-lilies-and-the-evolution-of-taiwanese-queer-cinema/

※4 “Interview: Director Zero Chou on Making LGBT Films in the Greater China Region”. Cinema Escapist
https://www.cinemaescapist.com/2017/08/zero-chou-greater-china-interview/

※5 藤城 孝輔「前進する時、クィアする時̶ 『彷徨う花たち』における鉄道のイメージと時間性」(日本映画学会第13回大会プロシーディングス,2016)

※本文中で取り上げたゼロ・チョウ作品はいずれも動画配信サービス「GagaOOlala」で配信中(2021年2月8日時点)

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