魂、やがて故郷へ──『インフル病みのペトロフ家』【折田侑駿の映画とお酒の愉快なカンケイ】

折田侑駿

©© 2020 – HYPE FILM – KINOPRIME - LOGICAL PICTURES – CHARADES PRODUCTIONS – RAZOR FILM – BORD CADRE FILMS – ARTE FRANCE CINEMA -ZDF

2022年4月。このページを開いてくださったあなたは、どのような日々をお過ごしだろうか。4月といえば、ちょうど2年前に一度目の緊急事態宣言が発令されたのが記憶に新しいところ。早くも季節は2周したわけだが、あの日々は多くの人にとって忘れがたいものなのではないかと思う。あるいはその後の環境の変化が目まぐるしく、もう忘れてしまっただろうか。誰もが“軟禁状態”となったあの日々を──。

こんなことを書いているのは、当時の私たちの心象風景を再現したかのような映画『インフル病みのペトロフ家』が誕生したからである。

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同作は、ロシアのキリル・セレブレンニコフ監督による最新作。タイトルから想像できるとおり、主人公・ペトロフはインフルエンザに冒されている。その症状によって咳き込み、高熱にうなされ、意識は朦朧。彼の魂は妄想と現実を往還し続け、やがては幼少期の記憶へも向かう。舞台はインフルエンザが大流行する2004年のロシア。

混沌とした世界を目にしているうち、私たち観客もこの世界へと迷い込み、どこまでが現実なのか分からなくなる。これを実現させているのが、正気の沙汰とは思えない長回し。演劇界の鬼才と呼ばれるセレブレンニコフの作品らしく、舞台装置の仕掛けにも圧倒されることだろう。そして彼は本作の脚本を、国家予算横領の罪を問われて自宅軟禁状態にあるときに執筆したのだという。原作があるとはいえ、当時の彼の精神状態が強く反映されているのを感じる。

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さて、状況が違うとはいえ、2年前に軟禁状態にあった私たちはどうだったろうか。当時の私は不安に苛まれ、気が滅入るほど狭い自宅内では頻繁に怪奇現象が起きたものである。飲酒量が増え、負の念が充満していたからだろう。怪音を耳にし、朝目覚めると玄関の扉が開いているなんてこともあった……。

そのような日々の中でこの魂がどこに向かったかというと、やはり故郷の鹿児島だった。もちろん親族との再会も夢想したが、訪れたのは「凡 born」というカフェバー。二十歳の頃に入り浸り、あまりにも濃い時間を過ごしたこの店が、その後の私の(底なし飲み助としての)歩む道を拓き、人格形成の最後の一手を打った。店内にビニールプールを持ち込んで水遊びイベントに興じる人々や、他の客のことなどおかまいなく唐突に絶唱する人間など、それらが許容される(?)店なのだ。この開放的な環境の中で酒を覚えたため、私がすぐに意識を失うクセの原因はここにあると睨んでいる。

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こんな連中を優しく見守る存在があってこその「凡」。店主の“中さん”は私だけでなく、みんなにとっての“愛すべきおじさん”なのだが、ジャック・タチ演じるユロ氏(『ぼくの伯父さん』)や、吉岡秀隆が演じた満男にとっての寅さん(『男はつらいよ ぼくの伯父さん』)と肩を並べられるほどに型破りな人である。営業中に寝ていることがしばしばあり、メニューの9割がない(しかし材料さえあれば何でも創作してみせるアーティストでもある)。この脱力モード全開の中さんを前に、誰もが酔い痴れるのだ。

そんな「凡」について私は、軟禁状態にあった2年前に“訪問した”と先述した。コロナ禍により隆盛を極め、瞬く間に衰退した“Zoom飲み”によって、「オンライン凡」が開店したのだ。中さんは実際に店内からアクセス。酒を飲む際に重要な「場」が関わってくるため、ただのZoom飲みとは違う。こうして私の魂は「凡」に帰還することで狂うことなくあの日々をやり過ごし、相変わらずゆるい中さんに救われた。「凡」をはじめとする酒類提供の場を救うのは、われわれ飲み助である。決起の日は近い。

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『インフル病みのペトロフ家』
監督 / キリル・セレブレンニコフ
公開 / 4月23日(土)よりシアター・イメージフォーラム 他
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折田侑駿 文筆家

“名画のあとには、うまい酒を”がモットー。好きな監督は増村保造、好きなビールの銘柄はサッポロ(とくに赤星)。

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