『MEMORIA メモリア』──そして、残響する愛すべき〈メモリア〉【折田侑駿の映画とお酒の愉快なカンケイ】

折田侑駿

©Kick the Machine Films, Burning, Anna Sanders Films, Match Factory Productions, ZDF/Arte and Piano, 2021.

ときどき、奇妙な音を耳にすることがある。しかし周囲の人にそのことを告げても、誰も聞こえないという。世の中には多くの音が混在していて、恐らく人によって拾い上げる音が異なるのだろう。

そしてときに、“頭の中”で音が聞こえることがある。これも誰かと理解し合うのは難しい。この〈音〉はどこで生じているのか。どのように響いて、どのように私の元に届いているのか。“頭の中”なのだから、〈記憶〉をたぐり寄せてみる必要があるだろう。しかしその核に触れられたからといって、これまた誰かに説明するのは難しい。

©Kick the Machine Films, Burning, Anna Sanders Films, Match Factory Productions, ZDF/Arte and Piano, 2021.

アピチャッポン・ウィーラセタクンの新作『MEMORIA メモリア』で得られる不可解な映画体験は、この感覚にとても近い。

ある日、頭の中で不穏な音を知覚した主人公・ジェシカは、その日からこの音に悩まされることになるが、原因は不明。これにより彼女は不調をきたすも怪音が響く日々は続き、やがて日常にも奇妙なことが起こり始める。こうしてジェシカは音に導かれ、静謐で、それでいて壮大な「旅」をすることになるのだ。

©Kick the Machine Films, Burning, Anna Sanders Films, Match Factory Productions, ZDF/Arte and Piano, 2021.

音が身体の芯にまで響いてくる感覚は、音楽映画ともまた違う。まさしく音の映画である。私は本作を劇場で観ることができていないため、真に体験したとは言えないだろう。そしてやはりアピチャッポン作品らしく、恐ろしいほど不可解だ。

鑑賞直後に思うのは、「何を観たんだ?」ということ(「何が起きたんだ?」とも言い換えられる)。作品の輪郭が捉えられない。しかし、しばらくすると例の怪音が私の頭の中でも鳴り始め、それはやがて脳内のどこかにこびりついて離れない。劇場で体験すれば、身体にこびりつくことにもなるかもしれない。

©Kick the Machine Films, Burning, Anna Sanders Films, Match Factory Productions, ZDF/Arte and Piano, 2021.

さて、私は冒頭に「“頭の中”で音が聞こえることがある」と記した。そう、本当にあるのだ。ここでは、晩酌の際に知覚した音について記してみたい。

ある晩、安いウイスキーの水割りに口をつけ、ふと目を閉じてみた。するとふいに、「コロン」という、グラスに氷を落としたような音がして、続いて金属とガラスが触れ合うような音がしたかと思うと、「ポンッ」という音が。しかもそれらと重なるように、包丁でまな板を叩く音がする。何かを刻んでいるようだ。

これには心当たりがあった。私が杉並区に住んでいた頃によくお邪魔していたとある居酒屋の店内の音だ。かつて捕鯨船に乗っていたお父さんが料理を、お母さんが酒を供するこの店は、私の記憶が正しければ今年の五月で創業五十周年のはずである。

家庭的かつ創作的な料理が自慢の店で、メニューは日替わり。目利きのお父さんが厳選素材で調理した肴はどれも絶品だ。詳細は伏せるが、この店がちょうど一年前の三月から休業中なのである(だから店名も伏せている)。

©Kick the Machine Films, Burning, Anna Sanders Films, Match Factory Productions, ZDF/Arte and Piano, 2021.

ここで耳にした音たちが、ある晩ふと頭の中で響き始めたのだ。私はこの音を頼りにして記憶をたどり、人生の大先輩たちの酒席に交えてもらった日々を思い出した。年季の入った引き戸を開けると、お母さんの「いらっしゃい」の声。私は「こんばんは。エビスを」と口にする。「ポンッ」という音を耳にするやいなや、差し出された琥珀色の炭酸水で喉を潤しながら、本日の肴をチェックだ。

私は特に、ここの「マグロぬた」が好きだった。それらに合わせて、ボトルキープしているウイスキーにするか、青森の「じょっぱり」にするか悩む刹那の贅沢。
嗚呼──『MEMORIA メモリア』の主人公・ジェシカは〈音〉に導かれ、〈記憶〉の旅路をゆく。私もまた、音を頼りに、あの空間へとたどり着く。残響する愛すべき〈メモリア〉。お店が再開したならば、あそこでしか聞けない音を身体に染み込ませるつもりだ。

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『MEMORIA メモリア』
監督 / アピチャッポン・ウィーラセタクン
公開 / 3月4日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ 他
©Kick the Machine Films, Burning, Anna Sanders Films, Match Factory Productions, ZDF/Arte and Piano, 2021.

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折田侑駿 文筆家

“名画のあとには、うまい酒を”がモットー。好きな監督は増村保造、好きなビールの銘柄はサッポロ(とくに赤星)。

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