僕と、どじょうと、『リング・ワンダリング』【折田侑駿の映画とお酒の愉快なカンケイ】

折田侑駿

©2021 リング・ワンダリング製作委員会

川の水面を眺めていると、そのゆらめきの中に、反転して映る現実とはまた違う「何か」が見えてくることがある。ここでこの「何か」を見出すには、能動的な態度が必要だ。欲しいものを得るためにはその身を挺し、鬱蒼と生い茂る森の中に分け入る必要があり、暗い深海へと潜る必要があるように。けれどもときに人は、うっかりとこの「何か」に触れてしまうことがある──。

金子雅和監督による『リング・ワンダリング』という映画には、この不可思議で神聖な時間が収められていると思う。本作の物語は、ニホンオオカミと人間の対峙を描こうとする漫画家の青年が、絶滅してしまったニホンオオカミの痕跡を追ううちに、すぐそばにある異世界に迷い込んでしまうというもの。

この「異世界」とは、私たちがいま立っている場にかつて流れていた時間のことである。東京の下町で建設のアルバイトに従事している彼は、この地に埋められてしまった時間(ひいては歴史)や記憶というものに触れるのだ。

©2021 リング・ワンダリング製作委員会

古くからある居酒屋の暖簾をくぐった際、年季の入った木製のテーブルや柱を、つい撫でてしまう癖が僕にはある。何かをぶつけたのかデコボコしていたり、コーティングが剥げてザラザラしていたり、磨き上げられてツルツルしていたり。それぞれに個性がある。

煙草の火による焦げ跡や、肴を盛った皿を擦るうちに生まれた傷跡は、その場に座し、ひとときを過ごした人々の痕跡。これを撫でている刹那、多くの人々が刻み、幾重にも積み重なり層となった歴史と記憶とに触れるのである。

©2021 リング・ワンダリング製作委員会

これは老舗の居酒屋を訪れたときの僕なりの愉しみ方で、これにも能動的な態度が必要だ。「老舗」というと、東京の神田に、“日本最古の居酒屋”と称される「みますや」がある。開店前から列ができる名店だ。ここの名物のひとつに、「どぜう」がある。

赤提灯にも記されているこの「どぜう」とは「どじょう」のこと。江戸の庶民に愛され、現在も全国的に生息する淡水魚だが、これを食する文化は時代の流れとともに減少し、食べたことのない人も多いのではないかと思う。ぬるりとした舌触りと苦味はクセにもなるが、これが苦手だという人はいるのだろうし、食わず嫌いをしている人も少なくないのだろう。

©2021 リング・ワンダリング製作委員会

下町が舞台の『リング・ワンダリング』にも、ある一家が食卓を囲んでどじょうを食する印象的なシーンが登場する。どじょうは水底の土に潜る習性を持つ生き物だ。映画内で描かれる季節は冬であり、この時期のどじょうは地中に潜る。土の中で息をひそめるどじょうを掘り出して食するという行為は、地中に埋もれてしまった歴史や記憶に触れるさまを描いた本作において、とても象徴的なものだと思った。

僕が口にしたどじょうも、水底に沈んだ記憶に触れてきたのだろうし、水面に映る「何か」の一部でもあったのだろう。だからというわけではないけれど、どじょうはそんなにたくさん食べられるものではない。味にしろ独特な食感にしろ、すべてがあまりにも濃厚。「どじょう食うぞー!」と意気込んでいた友人は、ちゅるりちゅるりと勢いよく二匹だけ口にして箸を置き、残りの全部を僕の方へとよこした。渋面を浮かべる友人を尻目に、一匹、また一匹とゆっくり口に含んでは目を閉じて、その滋味を堪能する──。

そうして、この地に積み重ねられてきた悠久の時に思いを馳せ、キリンのクラシックラガーの泡が口中で弾けるのを愉しんだ。このひとときもまた、いずれ誰かが触れる「みますや」の歴史の一部になったらいいなと思いながら。

©2021 リング・ワンダリング製作委員会

『リング・ワンダリング』
監督 / 金子雅和
出演 / 笠松将、阿部純子、片岡礼子、品川徹、田中要次、安田顕、長谷川初範
公開 / 2/19(土)より渋谷シアター・イメージフォーラム 他
Ⓒ2021 リング・ワンダリング製作委員会

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折田侑駿 文筆家

“名画のあとには、うまい酒を”がモットー。好きな監督は増村保造、好きなビールの銘柄はサッポロ(とくに赤星)。

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